3月15日
毎日連続更新記録がたった5日間で終わってしまった理由は軽い食当たりに苦しんでいたからである。久し振りに鯖しゃぶ(前回日記参照)を食べて翌朝、何だか調子がおかしい。胃の動きが止まっているかのような違和感が浮遊しており、空腹が訪れない。水分補給で暫く様子を見ていると次第に痛くなってくる。アニサキスの鈍痛とはまた別のヴァイブスだ。こうなったらと(持っていたのを忘れていた)正露丸を飲んで、ちょっと喉に詰まってしまい水を一気に飲んだら全部トイレに逆流してしまう始末。え?悪寒も?ということで非常に珍しくちゃんと体調不良となり、この日はほぼ寝るだけで潰してしまった。そんななか横井翔二郎とメールをしていると「なんか今日元気なくないですか?」と来たもんだ。微細な変化をも感じ取れる男…。
3月16日
未明、起きる。
違和感あり。
早朝、起きる。
…違和感あり。
昼、起きる。
…なんとかなりそう。
やはり引き続き空腹感はなく、水も少しずつ含みながら通していく。暫くしておかゆ on 大根おろしを食べると、胃腸の動きを感じられた。こうして夕方前、とうとうお腹が空く。1日半程度なにも食べていないわけで、反動ともいえる怒涛の欲求に襲われ冷蔵庫にある生野菜とカレーを瞬殺してしまった。しかもまだまだ入る。アニサキスでないのであれば、一体原因はなんだったのだろう。生食した鯖の卵か?(それだろ)
この合間に作曲。このとき生まれたアイディアと実験が新境地だったため、なんとかデモ音源として形に仕上げることができた。一日中寝ることによって頭の隙間に新しいアイディアがインストールされていたのだとすれば、場合によっては練習を休んだ方がいい日もあるのかもしれない。
今日は馴染みの友人たちと久々にスタジオに入れるので楽しみにしていた日だ。別にスタジオに入らずとも飲みに行くだけでいい間柄の3人でわちゃわちゃ遊ぶ。本業ギタリストのベース氏がギター氏としている会話が作曲という目線で大変参考になって面白い。”リチャード3世” 以来意識しているアンサンブルへの回答がここにあった。
スタジオ後、飲みの席で友人たちにイヤホンを差し出した。本当はスタジオのスピーカーで聴こうとしていたが、割としっかり演奏してしまい時間の余裕がなくなってしまった。今日仕上げたデモ音源だ。ギター氏は満面の笑みで手を鷲掴む。ベース氏も実に真摯に聴いて感想をくれた。やはり実感はちゃんと実感として伝わるのだ。練習中の彼らの会話が頭を過ぎる「練習を休んだ方がいい場合もある。弾かない間に奏法が身体に定着するんだ。」いやでもやっぱり練習はしようぜ!
帰ろうとしたタイミングに発生した地震で電車も止まったため、2時間ほど歩いて友人宅へ流れ込む。気候もよく道中すっかり飲み過ぎてしまう散歩だった。宮城・福島の皆さまは大丈夫でしたでしょうか。安全に過ごせられていることを願っております。
3月17日
昨夜の記憶は曖昧。昼過ぎに一旦家に戻り、制作を一気に済ませて下北へ。体調もバッチリ、腹が減っている。やけに気分がいいのは天気か、体調か、はたまた前進する面白さか。”仕事” の前にメシでも行こうぜと翔二郎とランチ。ちゃんとお金を出して食べたい唐揚げは唐揚げとして正しい。
一瞬レコ屋を覗いて、その後はしっかり”仕事”。うむ。どうせラジオ録ってるだけじゃん、だと?いいか、間違っちゃいない。音楽を聴きながら話して、3rd stone from the sun を聴いてロンドンのストリートを思い浮かべていたりしていたらすっかり遅くなってしまった。AGEの波の伝え方を試行錯誤しながら別れる。年齢とはただのナンバーに過ぎず、人生とは密度なのだ。
順調な先にもどうせ転ぶことは決まっているのだから、転んだときになるべく怪我をしないように予め備えておく。デイヴムステインから引用すれば「どれだけのことを笑って済ませられるか、が人間の強みだ」である。シリアスが過剰になると生きる目的をも見失いかねない。新曲もそのうち頓挫する。試しにコップの水をこぼしたときも「こんなにゴキゲンなんだから仕方ない」と笑ってみようじゃないか。
ようやく私は「音楽が無いと生きていけない」と言えるようになったのかもしれない。食当たりからはじまり、新曲の芽が生え、沢山の友人たちと会った3日間の最後に、音楽は楽しいという感想が漏れた。新しいなにかを入れるには新しい隙間を作ることから始まる。全てのタイミングを感じた頭の小旅行。玄関を開けると雨は止んでおり、家に着くと雨が再び降り始めようとしていた。
それでは、続きはwebで。チーン。
【横井翔二郎とユージ・レルレ・カワグチのスーパーダイナマイトハウス】
祝!初回特盛放送:前編
盟友とのラジオが始まりました。毎週月曜日朝7時更新。