少し前のブログ記事から、内容がえらく落ち着いてしまい
一部の友人知人からはもはや心配の声すら上がっているのですが、
決して精神病とかそういう類のものではなく、
自然体の状態そのままを文章に繋げようと試みている結果です。
稚拙もいいところですので、背伸びをしない
ありのままの状態を出せればと思っているのですが、
考えて言葉を並べる作業が結構楽しくて、
単純な宣伝や告知を繰り返すものより
自分のためになっていると少しずつ感じております。
更に皆さんと共有できるものになれば、
それ程嬉しいことはありません。
今は気持ちが自然体な方向に向かっていて、
身の回り内外で様々な変化が起きているのですが、
次は髪を切りました。
梳く、ではなく、バッサリいきました。
僕は昔から髪型に無頓着でなんでもいいのですが、
折角髪型が自由にできる環境にいるので、
できそうな髪型として、デビロックヘアーを選んでいました。
髪染めは勿論、
ワックスやジェルも殆ど付けたことがありません。
最近だと、結婚式等のどうしても帽子が被れない状況で
オールバックにするときに整髪剤を使ったくらい。
その興味がないものにも関わらず、
何故これまで伸ばし続けていたのか自問自答していたのですが、
僕は性格にしても、ドラムスタイルにしても、
このブログの最後の文句にしても、
そして髪型にしても。
何かに付けて自分色を付けるのが得意みたいで、
「おーいここに居るよ!」と
呼び掛けて振り向かせる能力があるんだと思います。
更に始めたら継続してしまう性格なので、
ノリでやってみた髪型がこの日までもっていたと。
この性格のお陰でこれまで色々な結果を生みましたし、
髪型にも沢山助けてもらいました。
MISFITSへの敬愛心は言うまでも無いです。
ですがこれって実は自分の好き嫌いではなく
周囲への印象のためにやっていたのでは感じました。
そしてこれからはもっと自分に正直になりたいなと。
人の評価や印象を取りに行こうとせず、
勝手についてくるようになりたいと思ったのです。
切ろうと思った理由はもう1つあって、
帽子があるときは良いのですが、前髪で前が見えないと
対話するときに覗き込むような状況になってしまいます。
自分自身のブラインドになってしまっている気がしていて、
それが相手とのバリアになってしまってはいないかと。
心身共に物事、そして音楽をもっと真っ正面から捉えたいのです。
いつもの理髪店へ。
行く度に毎回同じスタイリストの鈴木さんに当たっていたので
話が進みやすかったのですが、
今日はお休みで、明日はいらっしゃるとのこと。
一瞬悩んだのですが、これも巡り合わせだと感じ、
初めて切って頂くスタイリストさんに
上に書いたことをほぼ全て伝えてみました。
そりゃ迷惑だよね重いよねと思ったのですが、
好印象に聞いて下さったので信頼感が生まれました。
ざっくり切ってもらったあと、細かい調整をしているとき
鏡に煩いなく真正面から映る自分を暫く見入ってしまいました。
瞬きをほぼしていなかったので
さぞかし気持ちが悪い光景だったことでしょう笑。
スタイリストさんはとても真剣にカットをしてくれて、
気持ちを伝えて良かった。
お金を払って、素直に感謝できるのも久し振りの感覚。
その後帰ろうと思った先に古本屋が。
存在は前々から気付いていたのですが、
難しい本ばかり置いてありそうな店構えなので興味が沸かず。
先日友人と食事をしながら話をしました。
心境と髪形が一致していないという
相談も聞いてもらったときに上がった話題で、
三省堂が出版している新明解国語辞典。
現在もなお増刷されている辞書なのですが、
言葉の説明に書き手の人間性がとてもよく出ていて、
特に規制がまだされていない初期のものが面白いらしいと聞き、
インターネットオークションを開いてみたら
噂通りの高価な取引がされていて、
地道に古本屋巡りでもしてみようという話になったばかりだったので、
お店へ入ってみました。
その辞書のコーナー。
目に付く場所にありました。
新明解国語辞書 第二版。
付いている筈の値段が無く、もはや言い値。
最近巡り合せと感じられる事象がとても多いのですが、
余りにも流れが自然過ぎて、震えが止まりませんでした。
新明解国語辞書に言わせる
「巡り合せ」
- 自然にそうなる運命。
友人、古本屋さん、理髪店さん、行動、全てに感謝。
二版は「過激さ」という点では然程だったらしく、
一番強烈なのは四版の初刷とのこと。
是非手に入れて見比べてみたいです。
前髪をここまで真剣に語る記事も珍しいでしょうけれども、
アイデンティティになり得る要素を1つ削って、
より内面を深く、広く育てられればと思っております。
因みに夜は饗庭純のライヴを拝聴しに四谷天窓へ。
とある出演者さんがMCで何気なく放った言葉がやけに気になって。
内容は「こういうことしちゃうのってフツーじゃないですよね」
という類のものだったのだけど、
僕は「なんで?」という気持ちしか出てこなかった。
勿論そのMCにはお客さんの笑いを取るためだったり、
内容以外にも意図するものがあったのだろうけど。
教育と社会が生んだ良し悪しの基準は至るところに刷り込まれていて、
本人が考えて判断した行動がどれだけ少ないものか。
自分を信じて選択したものならば、正解でも間違いでもなく
「それでいい」になるのだと思う。
そういった選択を躊躇せず成し遂げる人は
世の中からは逸脱するので結果的に周囲からは個性的と映る。
饗庭純はそれを体言するかの如く、
そのステージに本人の在りのままがあり、
飾らず、嘘をつかず、思いを思いのまま伝えていた。
余りにも圧倒的で、崇高で、言葉にするのを憚られる程。
本当に素晴らしい時間を共にさせて頂きました。
すっごいよ。マジで。
そう思えたのも髪を切ったお陰なのであれば尚更。
考え方が変わればまた伸ばし始めるかも知れません笑。
それでは、続きはwebで。チーン。